「ムカつくから」少年7人が10代兄弟を暴行…「長野リンチ殺人」“反省なき加害者”相手に裁判、両親の執

少年審判は非公開のため、両親が真相を知るためには民事訴訟を提起する必要があった

1994年6月29日、長野県北安曇郡池田町の小学校校庭で、宮田稔之君(当時17歳)と弟の透くん(当時16歳)が、同じ地域に住む少年らから集団リンチを受け、稔之くんは昏睡状態になった末、翌日に死亡した。通称「長野リンチ殺人」事件である。 【場所】事件の現場となった小学校 当初、加害者として逮捕されたのはAという少年1人であったことから、警察は父の宮田幸久さんと母の元子さんらに「喧嘩だった」と説明し、新聞でも小さな囲み記事で「1対1の喧嘩」と報じられていた。しかし、稔之くんが死亡した30日、さらに6人の少年が加害に加わっていたことが判明する。 少年審判は非公開であり、息子を殺された両親は警察や検察、家庭裁判所からほとんど何も知らされないまま放置されていた。この状況に我慢ならなかった宮田さん夫妻は、真相を明らかにするため民事訴訟を提起する。 本記事では、ノンフィクション作家・藤井誠二氏の著書『少年が人を殺した街を歩く 君たちはなぜ残酷になれたのか』(2025年、論創社)から、事件の真相や加害少年が反省を示さない有り様について記した箇所を抜粋して紹介する。(本文:藤井誠二)

誠意のない態度の加害者側

宮田さん夫妻は事件から1年後の7月、加害少年7人およびその親権者を相手取って、損害賠償を求める民事訴訟を松本地方裁判所に起こす。すべては事実を知るためであり、被害者の慟哭(どうこく)を表現するためであった。幸久さんと元子さんは口をそろえる。 「『子ども同士の喧嘩で、どっちもどっちだ』という警察の発表があったり、加害者たちの学校の教師が加害者の言い分だけを聞いて、稔之と透が相当なワルだということなどを職員会議などで話をしていることが私たちの耳にはいってきたんです。 それに加え、加害者の親たちの態度がまったく誠意のないものだったんです。というのは、『(加害者である自分の子が)宮田兄弟に(呼びだすために)電話をかけたときに、謝ってくれればこんな事件はなかったんだ』という声が聞こえてきたり、判決どおりに割り当てられた罪を償えばすむと思っていることが伝わってきたりしたんです。 中には、うちに線香をあげに来たときに『うちの子だって救急車を呼んでやったんですよ』とまで言う親もいた。自分の子どもたちに本当はなにがあったのかという事実関係を聞き取りもしないで、ただかばっているだけ。だから、私たちはきちんと謝ってもらったとは考えられないのです。 そして、人を殺してしまう犯罪を犯した者は、やはり公の前で自分のやったことについて謝罪させたい。本当に反省しているのかどうか、公の前で証言させたい。それを直接、加害者から聞きたい。その証言が事実かどうかは別にしても、本人に直接答えさせたかったのです」 民事訴訟を提起するにあたり、加害少年の警察・検察での供述調書、家庭裁判所で作成された資料など膨大な証拠が取り寄せられた。宮田夫妻と訴訟を受任した弁護士はそれを精査し、事件の全容が浮かびあがった。以下、紙面の許す範囲で再現する。 中等少年院送致となったAは私立青雲高校を中退して働いていた。Aと同様の処分を受けたBは明科高校の2年生である。Aらのたまり場になっていた家のCらは大町北高校と池田工業高校の2年生たちだ。いずれも稔之君とはたいした面識はない。顔を見かけたことがある程度である。

2025-10-18 12:17 点击量:2